12.20.2014

【案内】「クィア理論と日本文学―欲望としてのクィア・リーディング―」

木村朗子さんからのお知らせです。ぜひご参加ください!
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立命館大学国際言語文化研究所主催
国際コンファレンス
「クィア理論と日本文学―欲望としてのクィア・リーディング―」

※事前予約不要・入場無料

日時: 2015年1月9日(金) 13:00-17:30
    2015年1月10日(土) 10:00-18:00
会場: 立命館大学衣笠キャンパス創思館1階カンファレンスルーム
    

基調講演
キース・ヴィンセント (ボストン大学)
「日本文学をクィア・セオリーで読む:漱石を例に」
〈対談〉 キース・ヴィンセント×上野千鶴子(立命館大学特別招聘教授)

ゲスト・スピーカー
〈招待講演〉 クレア・マリィ(メルボルン大学)

木村朗子(津田塾大学)
アンドリュー・ガーストル(SOAS)
呉佩珍(台湾政治大学)
黒岩裕市(フェリス女学院大)

発表者
スティーブン・ドッド(SOAS)
道下真貴(立命館大学大学院)
宮田絵里(立命館大学大学院)
岩本知恵(立命館大学大学院)
飯田祐子(名古屋大学)
泉谷瞬(立命館大学大学院)
リゴ・トム(パリ第4、第7大学大学院)
フィリップ・フラヴィン(大阪経済法科大学)
ハナワ ユキコ(NYU)
トゥニ・クリストフ (東京大学)
(以上、発表順)

開催趣旨
 1990年代に発足したクィア・スタディズはまさしくアクティヴな学問的思考の方法である。社会学を中心とする研究の方向は、ジェンダー研究とクロスしながら発展していったが、文学研究においては文学作品を素材として提供はするものの、理論的な取り込みについては不十分であったといわざるを得ない。クイア・リーディングが極めて有効に作品読解の重要な鍵となっていくであろうという予測を糧として、クイア・リーディングの多面的な可能性を日本文学というテキストに照射してみたいと考えている。それはおそらくは日本文学研究の新しい方向を模索する試みとなって、本国際コンファレンスの基本的な立場を形成していくことになるであろう。

http://ritsnichibunkai.blog.fc2.com/blog-entry-58.html

12.01.2014

第84回

早いもので、もうすぐ一年も終わりですね。
今年最後のきむすぽのお知らせをお送りいたします。

今回は個人発表と著者セッションの2本立てで、開始が「17時」と早くなっております。
どうぞご留意ください。
なお、研究会終了後は、忘年会を予定しております。
ぜひたくさんの方々とお目にかかれますことを願っております。

日時:12月5日(金)17 時から
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター(センター棟412教室

【個人発表】坂田美奈子「アイヌ口承文学の解釈学へむけて:散文説話におけるモチーフの役割について」

【著者セッション】中谷いずみ『その「民衆」とは誰なのか――ジェンダー・階級・アイデンティティ』(青弓社、2013・7)コメンテーター:北山敏秀


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【 個人発表 要旨】坂田美奈子「アイヌ口承文学の解釈学へむけて:散文説話におけるモチーフの役割について」


 ミルマン・パリーとアルバート・ロードによるフォーミュラ理論は口承文学における定型句、モチーフ、話型などの単位に着目して口頭伝承独特の構成法を見出し、その後の研究に多大な影響を与えた。しかしながら一方で、口承文学のこれらの構成単位の扱いについては、文学的解釈の点であまりに機械的であり、物語を矮小化しているという批判も同時にあった。これに対しジョン・マイルス・フォーリーは、フォーミュラ理論に読者受容論を掛け合わせることによって、口承文学の美学的読解を可能にする道筋をつけた。ボスニアの叙事詩やホメロス、ベオウルフの分析を通して、定型句や話型が単なる韻律あわせの道具や決まり文句なのではなく、テクスト外の意味を指示するサインであって、そのサインを受け取った聞き手がその意味を頭の中で展開し、受容することによって最終的に物語が完成するのだと述べている。口頭伝承の形式は、したがって無味乾燥な決まりごとであるどころか、サインの指示を理解しさえすれば、それによって物語がより豊かに奥行きを増す仕掛けになっているというのである。このような働きをフォーリーはtraditional
referentialityという言葉で表している。
 本報告では、以上のようなフォーリーの提起を念頭におきつつ、アイヌ口承文学における頻出モチーフや話型に着目しながら、物語を読む試みを行いたい。モチーフや定型句、話型などの構成単位を単なる形態論で終わらせるのでなく、それらを通して物語を読むためには、モチーフが指示するものをあらかじめ知らなければならないが、アイヌ口承文学の場合、それ自体が探求すべき最初の課題となる。本報告では、いくつかの頻出モチーフを事例に、それらを共有する物語群を重層的に読みながら、特定のモチーフがどのような意味の広がりをみせるのか探ってみたい。

【著者セッション 企画趣旨】

今回の著者セッションでは、中谷いずみさん(奈良教育大学)の『その「民衆」とは誰なのか――ジェンダー・階級・アイデンティティ』を取り上げます。本書は、1930年代の農民文学、戦争文学、綴方教室、および50年代の国民文学論、生活綴方運動、女性の平和言説などを対象として、「ある人びとが「民衆」「大衆」「人民」など〈被支配〉側に属する存在として名指され、呼びかけられる際に生じるさまざまな力学」を問題化した著作です。
「はじめに」や「終章」でも強調されるように、本書が批判する「表象の政治」は決して過去の問題ではなく、均質で、無垢(無知)な「民衆」を表象=代理し、その「対抗性」に依拠しようとする身振りは、現今の劇場型政治に、あるいはそれを批判しようとする側にまで共有されてしまっています。この意味で、本書についての議論は、自ら2014年の現在を問うものに展開していくのではないかと考えています。
今回は、大江健三郎をご専門とする北山敏秀さん(東京大学大学院)にコメンテーターをお願いしています。最新のご論稿である「大江健三郎の「自殺」する肉体――「セヴンティーン」「政治少年死す」という投企」(『日本文学』、2014年9月)が示しているように、北山さんのご関心も、大江健三郎という作家の表象が、社会、そしてときには本人によって、同時代の文脈を忘却=抑圧することで立ち上げられてしまうことの政治性を批判的に検証することにあるように思います。北山さんのコメント、中谷さんの応答を経て、全体での討論に移れればと思っています。