5.24.2013

第71回

第71回叙述態研
日時:6月7日(金)18時から
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター、センター棟509教室
http://nyc.niye.go.jp/facilities/d7.html



【個人発表】
八幡恵一「現象学における言語の理論―メルロ=ポンティとレヴィナス」
逆井聡人「金達寿「八・一五以後」における「異郷」の空間表象」


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現象学における言語の理論―メルロ=ポンティとレヴィナス

「言語」は20世紀の哲学においてもっとも主導的な役割を果たした主題のひとつであ
り、さまざまな領域で多様なアプローチからの分析が行われた。現象学もその例外で
はなく、創始者フッサールはすでに『論理学研究』(1900/1901年)において、心理
学主義への苛烈な批判を展開しつつ、彼のいう「純粋論理学」の基礎づけを試みる一
方で、言語の意味や認識の構造に関する独特の考察を行った。「意味付与
(Sinngebung)」という発想や「思考は言語に先立つ」という確信によって支えられ
たフッサールの理論は、しかし後の現象学者の批判を招く。ここではとくにメルロ=
ポンティとレヴィナスという二人のフランスの現象学者を取り上げ、彼らがフッサー
ルの言語哲学にどのように―批判的に―応答し、そしてそれに対していかなる独自の
理論を構築したのかを検討する。この二人が言語を論じる仕方は本質的な部分で多く
の呼応をみせつつ、しかしやはり決定的に分かたれている。その近さと隔たりは、彼
らが「意味(sens)」という概念についてそれぞれもっていた固有の考え方を明らか
にすることでよりはっきりと際立つことになる。互いに対照的な彼ら二人の理論は、
言語がもつ可能性の二つの極を指し示しており、高度に抽象的な思想ながら、現実的
な言語使用を考える上でも示唆に富むものと思われる。

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金達寿「八・一五以後」における「異郷」の空間表象

 本発表は敗戦直後日本の空間のイメージを、金達寿の戦後初期作品を通して検討する試みである。金達寿は祖国回復の希求を描き、在日朝鮮人文学の嚆矢である作家として知られている。しかしその金達寿が日本敗戦を機に発表した作品で、同時代の日本の様子を描いている作品が論じられることは稀である。こうした作品を検討する事は、戦後日本の領土イメージを多層化することに繋がると考える。発表では、1947年10月に雑誌『新日本文学』で発表された「八・一五以後」という作品を中心に、祖国への帰路という、首都圏の都市から玄海灘を渡るために下関や博多へ向う道のりと、その帰郷の挫折、そして首都圏へ再び戻るという登場人物たちの行動の動線に注目する。そのことによって、敗戦直後の日本という領土の不確定さと、またその内部に均一化されない民族の「帰郷」という移動のダイナミズムがあったことを確認する。
 こうした不安定で常に内部に移動を孕む空間は、敗戦直後の都市に現れた社会現象の一つである闇市という存在と強く共鳴する。この闇市は従来の戦後の都市文化を扱った研究において、復興の大衆的活力の象徴として捉えられることが多い。しかし闇市にはそうした一塊の「民衆」は存在しなかった。闇市は、日本人の戦災者や復員兵だけでなく、在日外国人たちによっても構成されており、その後の在日外国人の認識のされ方を強く縛り付けるものでもあった。こうした闇市の実態は発表で扱う金達寿の作品にも登場する。
 1945年8月15日を境に帰郷を願いながら玄海灘に向う登場人物たちにとって、それまで住んでいた街は去るべき土地であり、それは既に過渡的な空間である。しかしながら、最終的に玄海灘を渡れずに、元の住居地に戻ってきてしまう彼らは、その後の生活をその臨時性の中に留めざるを得なくなる。彼らにとって戦後日本という空間は復興の舞台ではなく、「異郷」であり続ける。こうした「異郷」としての空間認識が闇市の臨時性と強く結びつき、金達寿の短編作品の背景を作り出す。これまでの多くの研究が敗戦直後の都市空間を戦後が始まる場所としての捉えてきたことに対して、それとは異なる都市像を金達寿の作品の中から提示することが本発表の目的である。